少年エース2月号

どうも。ホタテです。

ブログ遅れて申し訳ないです。

最近Twitter再開しました。@Hotateyukiです。一旦支障でないかなと思って再開してみました。また支障出てきたら消えるかもです。

 

12/26に発売された少年エース2月号に『恋する寄生虫』最終話(後編)が掲載されています。

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どのコマもネタバレになってしまうので本誌からの写真は今回だけ載せれません。すいません。

この号をもって本当に終幕です。あっという間の様な長かったような...。1年と4ヶ月でしたね。

 

ちょっとタイミングが良いので今までの連載中思ってたこととか裏話とか振り返っていこうかなと思います。

 

こうして単行本を振り返って読んでみると巻毎にその時その時の僕の必死さだったり、その時期の思考が読めて恥ずかしいですが面白いですね。

1巻なんてもう必死に描いてたのが伝わりますね笑

もちろん後半手を抜いてた訳ではないんですが、背伸び感と言えばいいのでしょうか。硬い絵ですね。

実の本音をここで述べると、この頃(1巻執筆時)は原作の表紙絵、つまりしおんさんの表紙絵の佐薙にものすごく苦しめられていたんです。あの表紙絵は今見てもとても美しくて素晴らしい絵だと思います。あの表紙に惹かれて『恋する寄生虫』という作品に触れた方々は本当に多いと思います。だから僕も1巻執筆時の連載初期は物凄くあの表紙絵に引っ張られていたんですね。この頃は自分なりの『恋する寄生虫』へのアンサーが曖昧だったのもあります。いや、自分なりの佐薙ひじりが曖昧の方が厳密には正確かな。

僕はとにかくそのまんまで他媒体で作品を作るのが嫌で、『恋する寄生虫』も自分の納得いかない点はどんどん変えていこう!という意気込みで原作を読み始めた記憶すらあります。

いわゆる原作レイプというものはそんな好きというわけではないんですが、リスペクトさえ感じれば新しいものや独自解釈の作品はわざわざその媒体でやる意味合いと別の人がやる意義を感じて尚好きになる傾向にあるんです。

そういった意味で僕の中にある佐薙ひじり像と世間的人気を施した佐薙ひじり像の差にすごく苦しめられました。手元にはお手本の如く、佐薙ひじりの説明書が置かれているのに僕はそれにしっくりきていない。でも崩す勇気も新人なのもあってなかなか切り出せなかった。

じゃあ僕の中の佐薙ひじりってどんな感じかと問われると、原作より人間味があって不器用そうで鎧を纏ってかっこいい女の子だったんですね。

しおんさんの佐薙ひじりって僕の勝手なイメージでは「物語が始まる以前に既にこの世への未練が無さそう」だったんです。言ってしまえば高坂に出会う以前にとっくに死んでそう、高坂へ興味を抱くビジョンすら浮かばなかったんです。とてつもなくその孤独でふわふわとした危うさは美しい。地に足がついてないみたいでこの世の生き物とは思えない美しさ。でも僕はこのひじりから物語が始められず苦しんだんです。

 

佐薙ひじりは一生人を愛せないんじゃないかという恐怖感といい、視線恐怖という「他者」の存在を意識させる強迫性障害といい、「他者」がすごく見えるキャラなんですよね。生きるうえでは本当は不器用だけども、上手いこと生きてきた葛藤があって僕はすごく人間味を感じたんですね。死にたがりのふわふわした子っているじゃないですか。良く意味深な発言したり、予測できない行動に出たり、急に発狂したり死への欲動を剥き出しにしたりする感じのキャラクター。佐薙ひじりってコレではないなと僕は解釈していました。きっとしおんさんの佐薙に僕は共感できる余地がなかった。本当に本当の希死念慮の持ち主にしか見えなかった。だから彼女を救える気がしなかった。ただ美しすぎたが故に、掴み所のない彼女にひたすら苦しめられた。

 

2巻目だったか1巻目の描き下ろし漫画を描いている辺りから自分の佐薙ひじり像が輪郭を帯びてきたような記憶があります。進んでいくイケメン化については完全に僕の個人的な視線を高坂フィルターを通して具現化していったんだと思います笑

そう。高坂は佐薙ひじりに恋心を抱いていった筈ですが僕は佐薙ひじりに憧れの念があった。これが1巻目のあとがきにも書いたんですが、コミカライズの佐薙ひじりにはモデルにした人がいました。(中学の頃の親友Wさん)

完全に個人プレーで申し訳ないんですが、現在の僕が中学のWさんへ抱いていた憧れが具現化した結果佐薙ひじりがイケメン化していったんです。

でも冷静に考えて下さい。鎧を被った一匹オオカミ系の女の子でピアス開けて金髪にタバコ...もうカッコいい要素しかない。それでいて歳下で寄生虫学の薀蓄も豊富、自身の価値観をはっきりと言う様、何なら影響うけちゃいそうな程堂々としてるんですよ。それなのに同じ病気の苦しみを理解出来る子....これは高坂も憧れの視線を向けてしまうんじゃないかな。

高坂もきっと、恋心以前に人として佐薙ひじりへ尊敬していた様に思えます。それも無意識に絵に出ていたんじゃないかと思えますね。

 

絵柄の変化で何点か、それと漫画版での違和感について意図的だった部分があります。

一つ目は高坂の髪の描き方の変化ですね。細かすぎて伝わらないと思ってたんですがどうしてもやりたくて笑

最初はツヤは一切入れない真っ黒な髪の毛にしてました。これは潔癖症のせいでシャワーを浴びまくった結果毛がパサパサになっていることを現したかった。でも佐薙と出会い、一緒にいる間は潔癖症も和らぐ。よって段々とパサついた髪の毛にツヤが出てくる。そんな演出にしたかったんです。

 

それと先に言っていた違和感。これは原作を読んでいた人なら尚のこと、漫画から入った人でも感じたかもしれない第1話の展開の速さです。あまりにも佐薙と高坂がくっつくの早くない?という声も頂きました。

まぁ正常な思考だと思います。佐薙もいくら病気の苦しみが分かると言っても今まで誰にも心を開いてこなかったのにここで急にマスク越しキスしますかねって。

でもこれも意図的に速くしました。正直リスキーではあったんですが、逆に違和感を抱いて欲しかったんです。若干ネタバレですが、寄生虫によって有り得ない恋をしていく人物が次々と登場します。その様な違和感を作品としての意図を気付かれずに若干残しておきたかったんです。1話切りをする人間もそこで出てくるかもしれなかったんで本当リスクはあったんですが、全部を読むと効果的になるようにはしていたつもりです。

 

あと原作ファンの人からしたら高坂のイメージはもっと細そうな人だったんじゃないかなって僕はよく思うんです。三秋さんにも実は言われました。もっと細くして欲しいと。実際細さを意識してたんですが、これもまたしっくり来ない。どうしてだろうと思ってたら、細く描くと27歳っぽく見えないからなんですね。もちろん細くて27歳に見えるように描けない僕の画力のなさも問題なんですが、先ほど書いた「あり得ない恋」を表現する為には年の差を絵的にも分かりやすくしたかった。なので成人男性としての記号を捨て切れなかったのもあってそこまで細さが目立つデザインにならなかった。

これは僕の実力不足もあったので原作ファンの人からすると違うって思われたかもしれません。申し訳ないです。

 

1巻目の単行本を作る時に、デザイナーさんの有馬トモユキさんは僕が自らKADOKAWAの人にお願いして担当してもらいました。僕がファンだったのもあったんですがこの方は見た目だけのデザインをする方じゃないことを知っていたのもありました。寄生虫のデザインの打ち合わせをした時も見映えよりもメッセージ性を優先させて欲しいという難しい提案をしたんですが本当に見事なロゴを作って頂けて感動したのを覚えています。

両端の欠けは佐薙と高坂を連想させます。中央のふりがなも良くみるとふりがなだけ色が違うんですね。まるで中央のデザインに寄生しているかの様な形になっていて見事の一言。純文学ちっくな地味さが残る作品ですが、漫画としてのクールさもちゃんとあって原作小説と完全に別物へと進化させたのもまた有馬トモユキさんあってのことでした。本当にこの方に担当して頂けて良かったと心から思います。

 

 

2巻目の始め辺りまで背景アシスタントの方々が2人居ました。でも、全部自分で描きたい欲動が抑えきれず途中から全て一人で描く様になりました。その辺りからはずっと楽しく描けていた気がします。もちろん作業量は滅茶苦茶増えて厳しかったんですが、全部自分の思い通りのクオリティになる方が遥かに楽だったんですね。空気感とか、雰囲気だとか絶妙な点でも自分の要素が組み込める。こんな楽しいことはないと気付けて良かったです。多分今後ともずっと一人で描いていくと思います。

 

3巻目は現状今の自分の全力を出したはずです。でもまた時が経ったら上記のように、まだ硬かったなぁとか言うのかもしれませんね。でもそうであって欲しいと願う自分もいます。やはり進化し続けてこそ生きてる実感を味わえますからね。止まりたくない。

今回の短い連載ですら僕は人生で経験したことがない程の量の変化を自分の中に感じました。客観性、主観性、価値観、全てにおいて大きく月1回程のアップデートが行われていた様な感覚です。それも毎回大型アップデートです。

21歳になってまだこんだけ更新出来ることが純粋に嬉しかったんです。自分という平凡な人間でも、まだこんだけ可能性を秘めているのかっていうワクワク感が今では生きる楽しさと等しいです。身長がある程度まで伸びて年取ったら伸びないだろうという常識的な囚われ方に似てます。もう伸びないだろって半ば無意識な諦めがあった中こんな急成長したら嫌でも自分に期待してしまいます。

次こそオリジナル作品を描きたいと思っています。でも今回の連載でやりながら僕が意識していた「必ず良いものにしたい」という欲動は多分一生変わらないと思えたのもあって、必ず良いものにしたいと思っています。それは人の人生をも捻じ曲げてしまう様なエネルギーに溢れた作品かもしれない。

僕は漫画は娯楽だ、だとか言われるのが本当は悔しい。悔しくてたまらない。分かっているんです。突き詰めていけば娯楽に過ぎないことを。サブカルチャーであることは否めない。でも、僕自身は漫画で人生を狂わされ、漫画で価値観を見出し、漫画で世界が変わった。じゃあ僕は娯楽に人生を変えさせられた哀れな人間だろうか。そうは思えない。もちろん娯楽目的で描かれたライトな漫画だって沢山存在する。それらを貶すつもりも、下に見てる訳でも毛頭ない。単に漫画をもう「漫画」って一括りにする時代ではないと思う。あまりに違いすぎて、多種多様すぎて一括りにするにはあまりに無理がありすぎる。

僕が目指すところはやはり、恩返しの意味も込めて人の人生に影響を与える様な普遍的に良いものを描きたい。人生をかけて描くべきものなんです。

その為にも簡単に次々と生み出すのはもうやめた。いくらこの乏しい脳で何かを捻り出したとしても、それはやはり乏しいものにしかならないと思う。なので今は一時的にインプット期間にしようと思う。いつまでとも考えていない。でも僕がしっくりくるまでは続けようと思う。

いつか自分が「良いもの」を描けるのが今では楽しみでしかない。そんな自分は今までなかったから本当分からないものですね。このワクワクが伝わるといいなあ。

 

 

またどこかでお会いしましょう。

 

良いお年を。